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2014年12月1日月曜日

活字になった歌

あかねさすイオンモールの円柱に映り込む来世みたいな光   日経歌壇(12月1日) 穂村 弘 選


歌集のまとめが一段落ついたので、久しぶりに投稿してみた。
投稿から掲載までの期間は、これまでで最短の12日だった。
あかねさすIKEAへゆこうふたりして家具を棺のように運ぼう
の姉妹作のつもりです。

イオンモールは1階から最上階まで吹き抜けのエスカレーターあたりに、
IKEAは高い天井までラックが伸びている在庫置き場に、
あかねさしてる感がある。

あと、NHK出版から出ている料理系の雑誌の次月号の某連載欄に、1首引いていただける予定です。

2014年7月1日火曜日

活字になった歌

〈おはよう、世界〉のつぶやき多すぎて世界は基本スルーの姿勢   日経歌壇(6月29日) 穂村 弘 選

世界終了後の渋谷の街角に聞こえる初音ミクの歌声          毎日歌壇(6月30日) 加藤 治郎 選

2014年6月9日月曜日

活字になった歌

ATMのフォーク並びの列にいてフォークの先を見る目の動き   日経歌壇(6月8日) 穂村 弘 選

春だから母が掃除機かける音聞きたくなって耳をすませる     日経歌壇(4月13日) 穂村 弘 選

掃除機のは今さらだけど。アップし忘れていた。

2014年3月7日金曜日

活字になった歌

コンコース深くに冬の夕光が ほら、きらきらの埃を連れて
日経歌壇(2月9日) 穂村 弘 選
この歌について、嶋田さくらこさんがTwitterでコメントしてくださっていた。
雑踏の中で「埃」だけが舞う世界。まるで誰もいないように。やわらかい光の色が広がる、音のない世界。「冬の夕光」という言葉の美しさに魅かれる。
さくらこさん、ありがとうございます。
嶋田さくらこさんのブログ「さくらんぼの歌」 歌集「やさしいぴあの」



満席の回転寿司は養鶏場みたいでふるえつづけるプリン
日経歌壇(3月2日) 穂村 弘 選
 (穂村さんの評)「回転寿司」の「プリン」のジャンク感。その成分の卵も「鶏」に繋がった。

新人賞に応募するためのストックを増やすのに必死で、投稿が全然できていない。
そんなケチくさい考えは良くないような気がする。 とにかく量を作ろう。

2013年11月3日日曜日

今日活字になった歌

おばあさんの手押し車を先頭に3メートルの鳩の渋滞
日経歌壇(11月3日) 穂村 弘 選
今回は選評は無し。
敬愛する鈴木晴香さんと隣り合わせで嬉しかった。

嫉妬してください例えばこの雨が君に降らない雨であること /鈴木晴香


同じく敬愛する橘高なつめさんの歌も載っていた。



陽を翳すきみの右手がおもむろに作るキツネは鳴き声も無く /橘高なつめ
(穂村さんの評)
当然なはずの「鳴き声も無く」に不思議な情感が宿った。
なつめさんの歌はいつも重層的で、視覚以外の感覚に訴えてくる力が強い。
漢字とひらがなの表記のバランスも僕の好みで、すっかりファンになっている。
いつか橘高なつめ論を書きたい。
風の便りによると、東洋一の大人かわいい女子らしい。

なつめさんの歌にも晴香さんの歌にも、「君」「きみ」が出てくるのに、
僕の歌に出てくるのはおばあさんと大量の鳩だけ。
「君」が出てこない歌 のときと同じで、また脳内で坂井泉水が歌い続けている。


一番凄かったのは次の歌。

わたしが、と思わず胸にあてた手がピンマイク通し爆音となる /鈴木美紀子
(穂村さんの評)
「ピンマイク」ということは多くの他者に見られている状況だろう。思わぬ「爆音」によって、「わたし」が生の特異点であることが露わになった。

今日はNHKで名前を読まれて、日経で名前が活字になった。

何かちょっとした事件の容疑者にでもならない限り実現しないことで、
短歌をやっていて良かったと思った。ような気がした。

2013年7月31日水曜日

「このキス短歌がすごい」大賞

そんな賞は存在しない。
けれど、そんな賞がもしも設立されて万が一にも審査員になれたら選びたい歌を紹介します。

僕は、「キス」や「口づけ」のような甘い言葉を詠み込むのが苦手で、少し前に下記のツイートをしたこともある。次の「歌会たかまがはら」もテーマが「キス」だったので見送ってしまった。




そんな自意識過剰な僕に、「こんなキス短歌ならつくってみたい、自害したって構わない」と思わせたのが次の二首。

やはらかなあなたの舌を吸つてゐるもしかしてディープ・キスなのかしら /西澤孝子
(2013年7月28日付 日経歌壇 穂村弘 選)
(穂村さんの選評)下句が意表をつく。もしかしなくても「ディープ・キス」だと思うが、その認識が追いつかないほど夢中で「舌を吸つてゐる」のだろう。
朧月ほしいままなる口づけの邪魔をするのはわたしの髪のみ /同
(2013年6月16日付 日経歌壇 穂村弘 選)
(穂村さんの選評)〈私〉の邪魔をするのが「わたしの髪のみ」という異様な臨場感。

作者の西澤さんは日経歌壇で最近よく見かける方。
僕と同じく豊中住まいのようで、
こんな発想をするひとが近所に潜んでいるかもしれないと思うと(穂村さん的に言うと)くらくらする。

こんなキス短歌ならつくってみたいとは思ったけれど、
男ではこんな凄みはきっと出せないし、やっぱりまだ自害したくはないからしばらく様子を見よう。

「このキス短歌もすごいよ!」「僕の、あたしのキス短歌もすごいよ!」というのがあれば、
コメント欄で紹介してもらえると嬉しいです。
「このキスがすごいよ」「僕の、あたしのキスはすごいよ」はお控えください。
それはまた別の機会に。

2013年7月28日日曜日

今日活字になった歌

トラフィックニュースは告げるこの夜を蠢いている命のことを
日経歌壇(7月28日) 穂村 弘 選
(穂村さんの評)
確かに、車を見るとき、生身の人間を見る以上に、あの一つ一つに「命」が乗っている、と感じることがある。
夜の運転が好きだ。
運転中は基本的に自分の好きな音楽を流しているけれど、
慣れない道での運転が続いて少し不安な気持ちになったとき、
トラフィックインフォメーションを聴くためだけにラジオをつけることがある。


この歌は、6月16日(日)に開催された第九回橿原歌会に提出したもの。

詠草参加だったため、現場で皆さんの意見を聞くことはできなかったのだけど、
後日、牛隆佑さんからメールで丁寧な評をもらった。
「夜の共有」というテーマを軸にしたダイナミックな読みで、
この歌をつくるときに無意識下にあったはずの僕の思いを言語化してくれていた。
牛さんの了承を得たので、全文掲載します。



さまざまな示唆を含み得る一首だと思います。主体者がどういう状況でラジオを聴いているのか、例えば運転中なのか、自宅で聴いているのか、で少しニュアンスが変わりますが、自分は運転中であるように感じました。それはこの歌の中心にあるのが「夜の共有」ではないか、と思ったからです。交通情報から導きだされる通常の答えは、「渋滞や事故により移動時間にどれだけ影響するか」ですが、この歌の主体者は「渋滞や事故があるということはそれだけの人がこの夜の間も生活しているからだ。(私と同じように)。」という答えを得ます。(このあたり、交通情報だけでなく、株価や為替のニュースなどもその奥にはそれだけの変動を起こすぐらいの人々の生活があったのだ、ということについての意識の思い至らなさを思い知らされます。そういう意味でこの歌は、現代社会システムに覆われた生々しい人間の営みを明らかにする、という側面をも持ち得ると思います。)夜の運転は往々にして孤独なものですが、トラフィックニュースによって、多くの夜の生活者たちに「この夜」が共有されます。それは連帯感というほどの強い結びつきではありませんが、たしかに緩い意識の中でつながる、そのような歌だと思いました。 
気になったのは「蠢く」の語です。意味的には相応しいですが、やはりマイナスイメージの言葉なので、「命」の中に主体自身も含まれるのなら、自虐が過ぎるのではないでしょうか。また、トラフィックニュースが交通事故として、「事故で死に損なった人がつぶされた虫のように悶えている」といったようなやや悪趣味な読みもできてしまいそうです。もう少しフラットな言葉でも良かったように思います。また、作者が岡野さんと知ると何となく納得できますが、「ニュースは」だとニュースと主体との間に距離ができますので、「ニュースが」として、より当事者感を出しても良かったと思います。

牛隆佑さんはいつも、好きな歌を見つけたら好きな思いと理由を公言しているし、
作者に伝えられる場合は、必ず本人に伝えている。
そういうところが牛さんの素晴らしいところだと思うし、
そんな牛さんが主催しているのだから楽しくないはずがない空き家歌会のブログはこちら。

あと、この牛さんがくれた評のように、
ひとつの歌について良いところも気になるところも丁寧にしぶとく読み合う歌会に出てみたいと思う方は、
橿原歌会の主催者 三潴忠典さんのTwitterアカウント @tatanon をフォローしてみるとよいです。

2013年6月16日日曜日

今日活字になった歌

線香を這う火のようにモノレールが終着駅へ向かうのを見る
日経歌壇(6月16日) 穂村 弘 選
(穂村さんの評)
ただ一度きりで燃え尽きる「線香」の「火」に見立てたことが、機械の「モノレール」に命の生々しさを与えた。

堀江敏幸さんの「いつか王子駅で」を読んでから、
堀江さんの言葉を借りて言うところの
「モノレールの地に足のつかない孤絶ぶり」に
強く惹かれるようになった。


というわけで、
ようやくモノレールの歌を活字にすることできてよかった。



2013年3月17日日曜日

今日活字になった歌

君という葡萄畑の夕暮れにたったひとりの農夫でいたい
日経歌壇(3月17日) 岡井 隆 選
(岡井さんの評)
現実の葡萄畑と農夫ではなくバルビゾン派の絵のイメージから発想した美しい相聞歌である。
この歌は、先日ご結婚された牛隆佑さんへの
結婚祝いの歌としてこっそり贈った一首。
牛さんが
ゴッホでもミレーでもない僕がいて蒔きたい種を探す夕暮れ
という僕の歌を気に入ってくれていたので、
それの続編っぽいものを贈りたいな、
ということで生まれた。

僕にしては珍しい甘めの歌。
こういう機会がないとつくらない気もするが、
今後も作風を広げる訓練は続けたい。

牛さんじゃこさん、あらためてご結婚おめでとうございます。
牛隆佑さんの2013年のブログ
消燈グレゴリー その三
じゃこさんのブログ
めくるめく

2013年3月11日月曜日

ファミコンのカセットほどに

日経歌壇に投稿しはじめたのは2011年の9月頃。
会社で日経をとっていたから。
当時は穂村さんが誰なのかも知らなかった。

比較的短期に結果が分かるので
調子をはかるバロメーターとしても使えるし、
新聞で活字になるのは結構うれしいので投稿を続けている。

日経歌壇ではいい歌によく出会うのに、
スクラップし忘れてそのまま思い出せないことが多いので、
ブログに書き残しておこう。

昨日刺さった歌はこれ。

ファミコンのカセットほどに軽くなり猫よこのまま死んでゆくのか (山上 秋恵)
日経歌壇 穂村 弘選(2013年3月10日付)

猫の死の質量のたとえとしての「ファミコンのカセット」が、
それ以外たとえようのないほどジャストな実感をもって伝わってきた。(30代以上限定?)
語感の軽さの効果もあるのかな。
穂村さんは「冒涜的なリアリティに惹かれた」と。
作者の山上さんは岡井隆選でもよく見かける日経歌壇の超常連で、
上句の流れからは予想もつかない下句を、想定外のリアリティで繋げてくる作風が印象的。

次の2首も良かった。

自分よりでかいチーズを見た日から猫に追い回されて生きてる (羹 昌浩)
同 穂村弘選

旧作に収録された新作の予告も既に旧作の夜 (木下 龍也)
同 穂村弘選

このブログのコメント欄への寄生にとどまらず、
先週はダ・ヴィンチでも日経でも木下さんと一緒になって、
いったいどこまで憑いてくるんだと怖くなった。


2013年3月10日日曜日

今日活字になった歌

地下街は地下道になるいつしかにBGMが消えたあたりで
日経歌壇(3月10日) 穂村 弘 選
今回は穂村さんの評は無し。
うたつかい編集長のさくらこさんがTwitterで感想付けてくれているのでそれを。
さくらこさんいつもありがとうございます。(さくらこさんのブログ さくらんぼの歌)
(さくらこさん感想)
BGMは人がいなければ必要ない。人が消え街はただの通り道に。大阪のある二つの地下街を思う。一つはまだ熱を残した閉店後の地下街。もう一つはもう何年も冷え切ったシャッター街。
今日の日経歌壇は他にいい歌が目立った。
詳しくはこちらの記事を。


※
ところでこれは1月16日に投稿した歌。今頃載るとは思わなかった。
これまでの経験上、日経歌壇に載るまでの期間は
最短で13日、最長が今回の53日。
穂村さんの立て込み具合と関係があるのかないのか。

2013年2月3日日曜日

今日活字になった歌

白というよりもホワイト的な身のイカの握りが廻っています
日経歌壇(2月3日) 穂村 弘 選
(評)
「イカ」のあの質感を「白というよりもホワイト的」とは見事な把握。 

2013年1月27日日曜日

今日活字になった歌

河川敷が朝にまみれてその朝が電車の中の僕にまで来る
日経歌壇(1月27日) 穂村 弘 選
(評)
生き生きとした「朝」に対する怖れと憧れ。それに「まみれて」しまったら、もう社会人ではいられなくなりそうだ。

2012年10月7日日曜日

今日活字になった歌

ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた
日経歌壇(10月7日) 穂村 弘 選
(評)
「パン」が二回出てくるところがポイント。「サンド」だから。
こんな当たり前のことを当たり前に説明した短歌が載るとは思わなかった。
穂村さんも、当たり前のことを「ポイント」とか言ってて面白い。

【10/9追記】
響きの着想は、福永信さんの『コップとコッペパンとペン』から得た。

2012年9月2日日曜日

今日活字になった歌

現金が欲しいと書けば「あげます」と応える人のいる掲示板
日経歌壇(9月2日) 穂村 弘 選
(評)
「現金が欲しい」よりも「あげます」に時代の怖さを感じる。
カギ括弧をどう付けるかで迷った一首。
「あげます」という匿名の声の気持ち悪さにスポットを当てるため、
最初の、現金が欲しい、にはカギ括弧を付けなかった。

コピーライティングの基本として、
必要以上にカギ括弧を使うのは好ましくないと誰かに聞いた記憶があるけど、
短歌の場合はどうなんだろう。

今日は同じ欄に響乃さん(本多真弓さん)の歌も載っていた。
嫁として帰省をすれば待つてゐる西瓜に塩をふらぬ一族 (本多真弓)
学生の頃バイトをしていた職場で、
盆休み前後の人が少ない時期のシフトで
たまたま一緒に昼食をとったパートのおばさんに振られた話題が、
まさにこの短歌と同じ内容だった。

もしかしたら、あれは響乃さんだったのかもしれない。

「一族」という言葉が怖くていいなと思った。
僕はふらぬ側の人間。
ささいな所作ひとつに注目することで、
そこを基点に世界が二分されて見えるのが面白い。

2012年8月13日月曜日

昨日活字になった歌

二回目の死を待つ肉のために鳴るタイムセールの鐘朗らかに

日経歌壇(8月12日) 穂村 弘 選
(評)
動物としての「死」の後に「肉」としての「死」があるとは。 生命の連鎖を思う。

今年2月ぶりの一席。

穂村さんに届く予感はあったけど、
まさか一席になるとは思っていなかったので嬉しかった。

この歌は、ちょうど一ヶ月半くらい前に
Twitter上で開催された「1時間歌会」(山本まともさんによる突発企画)に提出した、
準遺体安置所として食肉の売り場は四季を通じて寒い
という短歌の生まれ変わり。
生まれ変わる前の歌も着想は気に入っていたものの、

・「準遺体安置所」という言葉のインパクトに頼りすぎ
・字数合わせのために「食肉売り場」に「の」が入ることのぎこちなさ
・「四季を通じて寒い」の状況説明が当たり前すぎて伸びしろがない

ことがどうも気持ち悪くて好きになれず、

もっと自然な表現で、生から死、次の死までの
時間の流れを感じられる歌にしたいと思って
ゼロからつくりなおした。

自分が良いと思った着想は、一回上手く歌に出来なかったくらいで捨ててしまわずに、
ぴったりくる表現を粘り強く探してみることが大切だと思った。

今回の日経歌壇では、自分の歌が載ったこと以外に嬉しいことがもうひとつあった。
「何らかの歌詠みたち」の傍観担当、木下龍也さんの歌も載っていたのだ。
遠回りさせる構造なのだから遠回りしてレジまで来いよ (木下龍也)
偶然にも僕の歌と同じスーパーとかコンビニっぽい場所指定の短歌。
これは穂村さんの粋な計らいのような気がしてならないのは、
おそらく僕の気のせいだろう。

彼の実力からすると今後もまたどしどし載るだろうけれど、
日経での彼の(おそらく)デビューに立ち会えたのは良かった。