2013年7月28日日曜日

今日活字になった歌

トラフィックニュースは告げるこの夜を蠢いている命のことを
日経歌壇(7月28日) 穂村 弘 選
(穂村さんの評)
確かに、車を見るとき、生身の人間を見る以上に、あの一つ一つに「命」が乗っている、と感じることがある。
夜の運転が好きだ。
運転中は基本的に自分の好きな音楽を流しているけれど、
慣れない道での運転が続いて少し不安な気持ちになったとき、
トラフィックインフォメーションを聴くためだけにラジオをつけることがある。


この歌は、6月16日(日)に開催された第九回橿原歌会に提出したもの。

詠草参加だったため、現場で皆さんの意見を聞くことはできなかったのだけど、
後日、牛隆佑さんからメールで丁寧な評をもらった。
「夜の共有」というテーマを軸にしたダイナミックな読みで、
この歌をつくるときに無意識下にあったはずの僕の思いを言語化してくれていた。
牛さんの了承を得たので、全文掲載します。



さまざまな示唆を含み得る一首だと思います。主体者がどういう状況でラジオを聴いているのか、例えば運転中なのか、自宅で聴いているのか、で少しニュアンスが変わりますが、自分は運転中であるように感じました。それはこの歌の中心にあるのが「夜の共有」ではないか、と思ったからです。交通情報から導きだされる通常の答えは、「渋滞や事故により移動時間にどれだけ影響するか」ですが、この歌の主体者は「渋滞や事故があるということはそれだけの人がこの夜の間も生活しているからだ。(私と同じように)。」という答えを得ます。(このあたり、交通情報だけでなく、株価や為替のニュースなどもその奥にはそれだけの変動を起こすぐらいの人々の生活があったのだ、ということについての意識の思い至らなさを思い知らされます。そういう意味でこの歌は、現代社会システムに覆われた生々しい人間の営みを明らかにする、という側面をも持ち得ると思います。)夜の運転は往々にして孤独なものですが、トラフィックニュースによって、多くの夜の生活者たちに「この夜」が共有されます。それは連帯感というほどの強い結びつきではありませんが、たしかに緩い意識の中でつながる、そのような歌だと思いました。 
気になったのは「蠢く」の語です。意味的には相応しいですが、やはりマイナスイメージの言葉なので、「命」の中に主体自身も含まれるのなら、自虐が過ぎるのではないでしょうか。また、トラフィックニュースが交通事故として、「事故で死に損なった人がつぶされた虫のように悶えている」といったようなやや悪趣味な読みもできてしまいそうです。もう少しフラットな言葉でも良かったように思います。また、作者が岡野さんと知ると何となく納得できますが、「ニュースは」だとニュースと主体との間に距離ができますので、「ニュースが」として、より当事者感を出しても良かったと思います。

牛隆佑さんはいつも、好きな歌を見つけたら好きな思いと理由を公言しているし、
作者に伝えられる場合は、必ず本人に伝えている。
そういうところが牛さんの素晴らしいところだと思うし、
そんな牛さんが主催しているのだから楽しくないはずがない空き家歌会のブログはこちら。

あと、この牛さんがくれた評のように、
ひとつの歌について良いところも気になるところも丁寧にしぶとく読み合う歌会に出てみたいと思う方は、
橿原歌会の主催者 三潴忠典さんのTwitterアカウント @tatanon をフォローしてみるとよいです。

2 件のコメント:

  1. 橋の上から川を見ていた。

    左を向けば黒い外壁のショッピングモール

    右を向けばファミリーマートのようなものが見えた。

    植物園はファミリーマートのようなものを左折して

    すこし行ったところにある。

    日も落ちてきたし、そろそろ植物園に行こう

    といつのまにか隣にいた友人は言った。

    僕たちふたりは駐車場へ向かった。

    あっ、と僕は声に出して言った。

    フェリーに車を乗せたままここまで

    徒歩で来てしまったことに気付いたからだ。

    フェリーはもう出港してしまっただろうか、

    そういえば時刻表にフェリー会社の電話番号が

    書かれてあったはずだと焦っているうちに目が覚めた。

    返信削除
  2. 今頃になってしまいましたが、橿原歌会のご紹介ありがとうございます。
    またよろしければ、今度はリアル参加もしてみてくださいねー

    返信削除