福永信さんの『コップとコッペパンとペン』に響きの着想を得たこの歌が、
同じタイトルをもじった『食器と食パンとペン』というブログで
イラストを添えられているのを見つけたのが今年の3月末のこと。
描かないことで描くような飄々としたタッチのイラストにはもちろん、
日記の短文やタイトルの付け方も洒脱で、すぐに心惹かれた。
Twitterで紹介ツイートをしたら、結構な反響を呼んだ。
うれしいことに、4月の文学フリマでお会いでき、
そのあと何度かメールでやりとりし、
個展のほんのちょっとしたお手伝いができることになった。
安福望さん個展『短歌ください』は、7月5日(金)~10日(水)まで、東京OPA GALLERY で開催されます。僕は残念ながら個展をのぞきにいくことはできないのだけど、
のぞきにいく予定のひとたちの予習のために、
安福さんの特徴をさらっと挙げてみる。
2回しか会ったことがないけど、だいたい網羅できていると思う。
安福さんは、安福さんの描く絵に出てきそうな印象のひと。
ご本人に「安福さんの描く絵に出てくるひとは、人生ゲームのピンっぽいですね」と
既にお伝えしているうえでそんな風に言うのはやや失礼な気がするし、
安福さんを紹介する記事のタイトルが「人生ゲームのピン」というのはいかがなものか。
でもそうなのだ。
いい意味でのっぺらぼうというか(全くいい意味に聞こえないけど)、
どんな可能性にも飄々と対応していきそうな印象は、
やはり、山あり谷あり一発逆転ありの人生を無表情で乗り切っていく人生ゲームのピンそのもの。
ブログの記事タイトルの付け方や短文のセンスをみるかぎり、
とても博識のある方のはずだけど、
一方で、何につけても先入観を持っていない感じで、ニュートラルな対話ができる。
スパルタローカルズと柴崎友香さんがすき。
安福さんの描く絵は、肩の力が脱けていて、
絶望からも希望からも等距離の、平熱の感情を湛えている。
この両者と安福さんに共通する部分はそんなところだと思う。
僕のことを巨匠と呼ぶ。
たまに和尚とも呼ばれる。
短歌の救世主とも。
いずれにしても僕にはもったいない呼び名だし、
いずれにしてもわけがわからない。
そんなつかみどころのない巨匠 安福さんが、
僕の短歌のイメージを広げてくれた傑作の数々をどうぞ。
ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた
『朝ごはんだった』かなしみを遠くはなれて見つめたら意外といける光景だった
『パン好き少年の悲劇』 (大好きな杉﨑恒夫さんの歌と並べてもらえた)
『灰色の虹』担当の美容師を見たことがない鏡越しならたぶん何度か
『山だったり川だったりするわたし』マーブルの水ヨーヨーが地を叩く 世界が消えるときは一瞬
『二度と行けない夏の家』このビルが無かった空がすきだった 檸檬をひとつ仕掛けて帰る
『雲で帰宅』似合わない服を着ながら本当の自分を探し続けてる顔
『行方不明の自分』日めくりがぼそっと落ちて現れた画鋲の穴の闇が深いよ
『穴から星』
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